今年は、八二三砲撃戦65周年・兪大維先生逝去30周年にあたる年です。重要な歴史的事柄を記念し、国軍の英雄の貢献に思いを馳せるため、金門国家公園管理処と兪大維先生記念学会が共同で「兪大維先生逝去30周年および八二三砲撃戦65周年記念フォーラム」を開催しました。講演は好評を博し、行事は成功裏に終了しました。
今回のフォーラムでは、前国立台湾大学校史館館長の林光美女史が「一代の国士、兪大維」、前ロイター社記者の周乃蔆女史が「兪大維論学と哲学思想」、前金門栄民服務処処長・陸軍退役少将の鄭有諒将軍が「兪大維部長と八二三砲撃戦」、国立中正大学の王瓊玲教授が「春閨夢:八二三烈士の未亡人の人生」、国防大学理工学院の崔怡楓院長が「兪大維と現代軍事工業の革新」、国立台湾師範大学国際・社会科学院の江柏煒院長が「第二次台湾海峡危機における人物と出来事:アメリカ国立公文書記録管理局所蔵の公文書から」というテーマでスピーチをされました。また、弟子や旧知の方々が在りし日の兪大維先生を思い起こし、スピーチや座談会の中で当時の戦いの日々のことを語り、国軍の英雄が自由の国土を守るために尽力されたことに皆で思いを馳せ、兪大維先生の国家社会に対する貢献とその人格や精神から学びを得ました。
1958年の八二三砲撃戦は、台湾海峡両岸の形勢に影響しただけでなく、冷戦時代の米ソ関係にも波及し、ワシントン、台北、北京、さらにモスクワまでもが互いに内情を探り合うこととなりましたが、最終的に核戦争の危機は回避されました。国軍は共産軍の激しい砲火に耐え、中華民国防衛のために輝ける叙事詩を綴りました。台湾は金門と言う前線・障壁があったおかげで、戦火を金門でとどめることができました。時の国防部長となった兪大維先生は、積極的に前線を固め、軍備を整え、米国から軍事援助と経済支援を取り付け、頻繁に自ら金門の防衛状況を視察し、戦役勃発時には金門の太武山翠谷で砲撃により負傷されたものの、金門のために米軍から8インチ榴弾砲を取得し、そのことが国軍のこの戦役での勝利につながりました。戦場で犠牲となった兵士たちはその生命を投げ出して国土を守り、残された妻たちは亡き夫を想いながらその後の人生を送ることとなりました。王瓊玲教授は、長年、亡くなった兵士の未亡人や遺族に関心を寄せ、直接取材し、歴史に名を残すことのなかった人々、そしてその物語を記録し、「春閨夢:残された女たち」というタイトルで著作を出版されました。今回のフォーラムで参加ゲストに配布された本書ですが、その印税は八二三台湾海峡戦役烈士の未亡人および公益団体に贈られています。この心揺さぶられる物語をぜひ皆で振り返りましょう。